人生の中心に置く価値観の見つけ方

千神弥生(ちかみやよい)です。(自己紹介

 

 

 

 

大切にしている価値観って、ありますか?

 

好きなこと、好きなもの

好んでいる傾向

これがないと困るというもの

理想的なこと、譲れないもの

強く願ってしまうこと

大切なこと

 

などなど、価値観って一言で言っても、細かくしたら色々ありますよね〜!

 

 

 

そして、それまでは、大して大事だと思っていなかったのに、

喪失すると初めて浮き彫りになる、そんな価値観もあるのだと思うんです。

 

 

 

過去を振り返ってみると、どうでしょうか、

 

・手に入らなかったもの、こと

・やれなかったもの、こと

・失ったもの、こと

・諦めたもの、こと

 

が、誰にでもあると思います。

 

 

 

今、現時点で失うことで感じられる価値観もありますが、

過去の喪失体験ですでに得られてる、大切な価値観もあると思うんですよね。

 

 

 

 

価値観なんて、正直、自分だけの小さな小さな世界の中のことであって、

大きな視点で見ると、捨ててしまえばいいものだったりもします。

 

 

 

だけど、やっぱりそれをまず大切にしていくことでしか、

 

「捨ててしまえばいいいんだよ」

 

なんて、思えないものなんじゃないでしょうか。

 

 

昨日夕方、突然、工事の挨拶に来られました。

 

 

 

家の東側の小さな道路を挟んだ(とはいえ、この村のメインストリート)向こう側にあった駐車場のアスファルトを剥がして、家が建てられるそうです。

 

 

ここに家が建つのか・・・。

 

 

今までもこの家を購入してから、どんどん遠くに見えていた山が見えなくなっていきました。

 

 

 

そのたびに、山が見えない庭の景観に嘆きつつ、現実を受け容れてきました。

 

 

 

今回、道を挟んでいるとはいえ、斜め前とはいえ、

広がった空間があったところに家が建つとなるとどうしても圧迫感を感じます。

 

 

 

最初からそれが当たり前なのであれば、平気なんですけどね。

 

 

 

あの空間がなくなるとなって、やっと気がついたのは、もちろん前から分かっていたけど、

私は「開けた空間」が、すごく大切なんだなということです。

 

 

 

実は、家の南側の塀をずっと作らずにここまできていて、外から見ると、リビングが見えてしまう状態でした。(カーテンも開けたい派なので笑)

 

 

 

最近、やっと、もっと景観を良くしたいと思い始め、やっぱり塀を作ろうと見積もりに来てもらっていたところだったんですよね。

 

 

でも、南側に高い塀を作ってしまうと、リビングから見た外側に、「開けた空間」がなくなってしまうわけです。

 

 

 

景観としては、たしかに、白いペンキで塗った木の塀に、薔薇やハーブが映えるなと思っていたのですが、

 

私がそれよりももっと大事にしたいものは、より「広がりを感じられる空間」でした。

 

 

これが分かって、良かった〜!

 

 

 

あなたにもありますか?

大切な価値観。

 

 

 

それはきっと、失われた世界から見つかるんだと思います。

 

 

 

それにしても、ショベルカーって、カッコいい!

 

 

 

もし男だったら、ショベルカーや大工仕事など、なんでも壊せてなんでも建てられる男になりたいなと思う今日このごろです。笑

 

 

 

余談ですが、

私はホロスコープで、第9室(射手座の性質)に星が集中していて、太陽もここにいます。

 

 

 

それから、アセンダントという、生まれたときに東の空に見えていた星も射手座なんです。

 

 

 

 

射手座とは、「より遠く、より広く」を追うという性質があります。

 

 

小さい頃から今日まで、「見えない世界」に密着した、精神世界を追う人生でもあります。

 

 

 

こう見てみてると、価値観というのは、自分で感じるものではなく、

感じさせられるように最初から仕組まれていて、それに見合った経験をするのだろうと思います。

 

 

 

 

星つまり宇宙の意志のもとに生まれてきているので、当然なのだとは思いますが、

 

宇宙の意志は自分自身でもあるので、その意味からするとそこを超えている自分もすでに存在しています。

 

 

 

個人の領域の価値観を大切にしながら、

そこを超えている自分も徐々に知りながら、

 

 

そんな風に人生は進んでいくのかもしれないなと、

 

ガコンガコンとアスファルトを剥がしているショベルカーを眺めていたのでした。

 

 

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