時空力コンサルタントの千神弥生です。(自己紹介)
「明日はお客さんが来るから、片づけないとね」
誰かしら家族以外の人が家に来る前、片づけることが多くないですか?
家族だけでいるときは少々散らかってても平気なのに、人が来るとなったら片づける。
なぜ、そういう動きになるんだろうと考えました。
だらしない、汚れている、散らかっている、整理整頓されていない。
こういう家(自分)を恥ずかしいと思っているからこそ、隠したいと思っているからこそ、「片づけなきゃ!」と思ってしまうのではないでしょうか。
つまり、ちょっとでも素敵な印象、良い印象を与えたいわけですよね。
でもこれって、すごく不思議な動きなんじゃないかと思うんです。
というのは、これって、自分の「ありのままの状態」を隠そうとしている行為だと思うんですよ。
だって、生活しているとどうしても家の中が散らかってきますよね。
片づけや、掃除というのは、“ちゃんと意識して”やらなければ、あっという間にゴチャゴチャしてくるお宅は多いんじゃないんでしょうか。
私自身、片づけられない自分や、主婦としてちゃんとやれていない自分をダメだなと思っていた時期が、すごく長かったんですよね。
そのとき、一時的に家のあちこちをピカピカにしたり、片づけや掃除をがんばったりしていました。
今だからこそ言えることなのですが、私はそういうことがマメにできるタイプではないので、意識的に家にエネルギーを注ぐ、というのはちょっと違ったんです。
もちろん、片づけや掃除が大好きでマメにやれて楽しいという女性は、たくさんいます。
そういう方は、それでいいんです。
だってそれはもう、趣味と同じだから。
でも、私は、タイプがまるっきり違ったんです。
それなのに、一生懸命片づけや掃除をしてキレイな空間をキープしようとしていたこと自体が、「私のやり方」ではなかったのです。
それが分かった今では、子供が床にモノを散らかしていても、それを片づけようと思わなくなりました。
片づけたくなったら片づけて、その時の気分に任せています。
「散らかっていることの、何が悪いの?」
今では、ハッキリとそう言えます。
私の中にあった「散らかっている=片づけなければ」という方程式を追っ払ったからです。
もちろん、床にモノがあったら危ないし(実際ケガした)、掃除しないと不衛生で病気にもなります(実際湿疹が出た)。
キレイな方が、気持ち良いことも、当然人と同じように分かります。
だけど、「散らかっている=片づけなければ」というルールに縛られているのと、「ただ気持ちいいと思うから片づける」というのは、全然違うんです。
きっと、こう言ってもほとんどの人が、「私は片づけたら気持ちいいと思うからやってますよ」と言うと思います。私がそうだったように。
でも、口ではそう言うけれど、その根底では「散らかっている=バツ=片づけなければ」というルールが自然に発動している人が多いんじゃないかと思うんです。
だって、今の世の中を見渡してくださいよ!
雑誌やインスタなどで、著名人、一般人問わず、ご自宅がバンバン披露されています。
そのほとんどが、「素敵~!」「キレイ~!」「ちゃんとしてる~!」という印象のものばかりです。
また、人の家に遊びに行っても、汚い家に招かれたことってまずないですよね?
「えー、いつもは散らかってるよ~!」
なんて言いながら、キレイなところだけを見て帰るので、その印象だけが残るわけで。
かつ、私もめっちゃ取り組んでましたが(笑)、風水的にも運気は汚い家だと上がらないという説。
ハッキリ言って、「片づいていない=悪、恥」という構図の中で、私たちは今生きているように思うんです。
私も最初は「キレイにすると気持ち良いから片づける」と「片づけなければいけないから片づけている」の、その差が分かりませんでした。
だって、片づけている方が当たり前に気持ち良いし、快適ですもん!
だけど、「散らかっている=バツ=片づけなければ」という方程式を自然に使っていることに気がついたのが、「人が来るから片づけないと」と思った時だったんです。
ああ、私は、人に良い印象を持たれたがっているんだなと思いました。
そして、それはなぜかというと、散らかっているのはダメな人、不潔な人、恥ずかしい人、つまり良い印象を持たれないとか、素敵な暮らしをしていないとか、ダメ人間的なイメージを持たれるのを恐れているんだと。
え、素敵な暮らしって、なんですかね?
出来る人間って、なんですかね?
家がいつも片づいている?
整理整頓がなされている?
オシャレな小物が飾ってある?
ご飯が美味しそうに並んでる?
家事も仕事も両立している?
分からないけど、雑誌やインスタを見ていると、こういった「素敵な暮らし」をしている女性を特集しているページが人気だし、フォロワー数も多い。
芸能人の私生活が人気なのも、みんなそういう「素敵な暮らし」に憧れているんだなと思いました。
ああ、だから私も、「ちゃんと主婦をやって家もキレイにして」なんて、女性として恥ずかしくない、素敵、そんな憧れを現実にするために一生懸命取り組んだんだなと納得がいきました。
なんなら、それをやっていたら、パートナーシップもよりうまくいくようになり、お金や豊かさも入ってくると思っていました!
でも私の場合、それは、全然違っていました。
私は、仕事にエネルギーを注ぐ方が、断然パートナーシップが深くなり、お金も豊かさも入ってくるようになりました。
人は、自分に持っていないモノや人を見て、憧れる傾向にどうしてもあります。
特に、「女性として」という視点から見ると、家をキレイにしている女性や子育てを楽しんでいる女性、家事をこなしている女性についつい憧れてしまう……。
でも、そういうのは、もう終わりだと思うんです。
だって、誰もがもうすでに、その「憧れを追いかけてみる」ことを経験していると思うんです。
であれば、一度その憧れや理想を追いかけてみて、「あ、私はタイプが違うかもしれない」ということに気がついているはずです。
何度も言いますが、いつもキレイな状態をキープしているのが、自然にできる人や楽しめる人は、それでいいんです。
でも、例えばわが家のように、まだ小さな子供がいたり、子供はいなくても性格上どうしても片づけができない人や、旦那さんや家族が散らかすという場合もありますよね。
そういう場合、「散らかっている=ダメ=片づけるべき」というルールに沿っていないか、それで自分を苦しめていないかを一度考えてみることが大切だと思います。
そろそろ、自分だけの自由で楽しいルールを作りませんか?
だって、ほんと、世の中にはたくさんの「片づけ術」があります。
捨てる方法、〇〇流、△△メソッド、□□コーディネーターまで、ほんとにたくさん!
「片づけていないと運勢が悪くなる」とか「片づけられな人はダメな人」といった、もはや印象操作がなされている気さえしてきました。
いや、もちろん、片づけていた方が気持ち良いし、作業もはかどるし、快適で安全です、ほんと何度も言いますが。
だけど、片づけが苦手なタイプ、主婦業が向いてないタイプ、子育てが楽しいとは思えないタイプ、そういうタイプの人達がものすごく多いのも事実です。
だから、間違っても、「私はちゃんと主婦ができない」「片づけができないダメな人」なんて、自分を恥じたり嘆いたりしないでほしいと思うんです。
片づけが開運方法という人もいるでしょう。
でも、仕事が開運方法という人もいます。
何もせずに家で好き勝手に暮らす、というのが開運方法という人もいるんです。
自分を人から見てなるべく良い印象、素敵な印象にもっていきたくなる気持ちはほんとに心から理解できるのですが、その前に。
片づいている家が良い、運が上がるといった、いつのまにか「世間一般のマニュアル」になってしまった「片づけルール」を捨ててみませんか?
普通に生活していたら、散らかります。(散らからない人は、ただの才能!)
それを、人が来る前にキレイにすると何が起きるか?
その時点でありのままの自分を否定しています。
そして、その家に遊びに来た人が、「うわー! キレイにしているね!」などと、その状態を鵜呑みにしてしまい、
「あんな風にちゃんとキレイにしないと」と、お互いのハードルが高くなり、最終的には世間一般の基準が上がります。
私は、これが負の連鎖だと思っています。(笑)
家に人が来る前に片づけるなんて、ダセーな!
正々堂々と本当の自分と向き合えばいいじゃん!
なんて、今ではそんな風に思えるようになりました。(でもまだ時々ダサいです!笑)
だって、片づけられない理由や原因なんて、掘り下げればいくらでも出てきます。
片づけると良い理由なんて、いくらでも出てきます。
でも、そのもっと前に、「片づいていない=悪い、ダメ、バツ、恥」と思っているとしたら、どれだけ片づいていたとしても、しあわせにはなれません。
誰かに憧れていたり、どこかの理想に焦点を置いている以上は、例え理想通りになれたとしても、自分が本当に望む願いやしあわせのカタチは見えないと思います。
片づいていた方が、絶対いい、たしかにいい。
だけど、散らかっている状態さえ愛おしいと思える暮らし方の方を、私は選びたいと思います。
なんとこんなに大きいクリスマスツリーなのに、小2の娘と5才の息子が組み立てて飾りつけてくれました!大きくなったもんだ!もちろん「散らかしすぎじゃー!」と怒鳴りますよ!
●12/5(土)『NEW AGE~あなただけの「存在理由」を創る~』
「このまんまの私で生きていく」サポートを生活習慣や生まれたもった性質までトータルで見ていきます。