こんにちは!
最近、ブログのタイトルとか色々変えてみてます。
色んな角度からの表現の仕方ってあるから、なかなか、ピッタリ合う言葉を見つけるのって難しい~!
本題、闇落ちです。
闇落ち……それは、私には経験のないことです。
けれど、私の元に来られるお客様は、闇落ち経験者ばかりです。
闇落ちって、一体何?
闇落ち、というのは、自分の力ではどうしようもない、いきなりズーンと心が重くなり、動けなくなり、正常に考えられなくなり、普通の生活ができなくなることです。
自分の力ではどうしようもない、というのは、自分では普通に暮らしたいと思っているにも関わらず、心が、身体が、そのように動かないことを指します。
例えば、朝起きた瞬間から消えたくなる感覚があるとか。
起きられないとか。
子供を学校に行かせることさえままならない、そんな状態です。
そして、実際に心だけでなく、身体も調子が悪くなります。
頭が痛くなったり重くなったり、異常な眠気、身体が鉛のように重く本当に動けない、首や肩が痛い、普通に風邪っぽくて寝込む、などなど体調が明らかにおかしくなるということが起こります。
自分の意志で落ち込んでいるわけでもないし、自分の意志で立ち直れるわけでもなくて、ただ自然に起こり、また自然に戻っていくのをただただ待つしかないという感じです。
なので、その間に予定が入っていればキャンセルするしかなく、かといって、キャンセルするエネルギーも残っていないので、さらに苦しさに見舞われてしまいます。
もちろん、家事なんかできなくて、部屋が汚くなります。
その罪悪感というか、明らかな汚さによってまた、さらなる闇へと引きずり込まれます。
一体、何が、この闇落ち女子たちを、闇に引きずり込んでいるのでか?
答えは……、ここでは言及しないでおきます。
ただ、ハッキリ分かっているのは、人それぞれ、この闇の深さは違っていて、自分では気づいていないけれど闇を持っている人もいるし、闇に気づいていて共存している人もいるし、この闇をなんとかしたいといつも苦しんでいる人もいます。
いずれにせよ、闇は大体が突然襲ってきて、しばらく滞在した後、去っていきます。
過ぎ去るのを待つしかないのです。
私自身、この闇落ちの経験はなく、闇落ちの苦しさや絶望感は分かりません。
正直、まったく分かりません。
けれど、分からないからこそなのだと思うのですが、闇落ちしている女子を、引っ張り上げることはできるのです。
一緒に共感してあげられることはないんですけど、引っ張り上げることはできる。
そして、何度も引っ張り上げていきながら、闇落ちの原因を一緒に探り解決していくと、段々と闇落ちする回数と度数が減っていきます。
さらに、闇落ちしても、自然に回復するまで待つのではなく、自分の力で這い上がってくる力がついていきます。
闇落ちの原因が自分自身でハッキリと分かるようになるので、かなり精神が安定します。
やっぱり、勝手にやって来て、勝手に去って行くというのは、恐怖でしかなく、自分には手に負えないものに脅かされるストレスたるや、ですからね。
けれど、まず、闇落ちの原因が分かるようになるので、勝手にやって来るという無力感にはさいなまれないということになりますよね。
そして、原因が分かっているので、そこに対策することで、自然に回復するまで待つ必要はなくなります。
自分の力で、這い上がることできるというわけです。
その大きな安心感が根底に根付いていくことが要因となって、闇落ちする深さが浅くなっていきます。また、少なくなっていきます。
最後には、闇落ちすることがあんまりなくなるので、絶望感で真っ暗だった頃をあまり思い出せなくなります。
分かりやすく言うと、普通の暮らしが、普通に楽しくできるようになります。
家族に心配や迷惑をかけることも、ほとんどなくなります。
朝起きて、消えたいという絶望感というか闇に襲われることもなくなります。
普通の穏やかな暮らしが送れるようになります。
闇落ちする人にしか分からないこと、それは、闇なので真っ暗だから、周りがまったく見えないことで感じる孤独感です。
闇落ち女子の孤独感というのは、寂しいとか独りぼっちとか、そういう感覚のことではないんですよね。
現実的には目の前には家族がいて、友達がいて、話をする相手もいて、住む家もあって、ちゃんと恵まれていることを理解できるわけです。
それなのに、真っ暗闇の中にいる。
誰かが傍にいるのに、誰も見えない。
永遠に誰にも存在を認めてもらえないというか、自分が存在していることへの疑いというか、そんなイメージです。
寂しいとか独りぼっちという感覚を遥かに超えた、ただの真っ暗、真っ暗だから何も見えない絶望感、諦め、無、なんか身体だけがあって生きているという事実がある、そんな感じです。
だから、実生活では、心から笑えたことがいまだかつてあったのだろうかというほどです。
いつでも、その闇にジッと見据えられているというか、いつ闇が襲ってきてもおかしくないというか、油断すると闇に落ちる不安定感があります。
だから、何をしても心が満たされず、ゆるまず、何のために生きているのか分からず、だから消えることができたらいいのにな、なんていう思いがあがってくるのです。
決して誰からも、この闇は理解されない。
いや、そもそも理解を求めてもいないし、ずっとこれと一緒に生きていくだけの人生だと諦めているというか、諦めるを通り越して受け入れている状態です。
それを、アートとして表現する人は、まだいいなって思うんです。
その闇を芸術に落とし込む、作品に落とし込むことができる人は、ラッキーですし、むしろその闇はその芸術のためにあるんだと言えるのではないかとさえ思います。
私は、そういう人を知っているから。
だけど、普通の女性で、なんなら結婚もして子供もいて、普通の社会で普通に生きていく必要がある人にとっては、闇の存在はただただ苦しいだけです。
芸術に変換することもなく、ただ毎日毎日、闇と一緒に暮らすなんて、ただの拷問でしかないと言えるかもしれません。
ただ、芸術に転換もしない、だけど、闇だけは深い、そんな女性に与えられた使命というのがあると思っています。
それは、芸術と同じく、やはりクリエイティビティ、創造性です。
やはり、芸術に転換できる人というのは、分かりやすいなと思います。
だけど、普通の女性が、普通の主婦が、闇を創造性に落とし込んでいくことの方が、よほど難しいし、意味性を感じにくいんです。
かなり、難しい。
その難しさに挑戦することを選んだツワモノなわけです。
もちろん、ツワモノだなんて表現されても、なんのこっちゃだということは理解しています。
それでも結論だけ伝えると、ツワモノと言うしかないのです。
芸術家として生まれたら良かったのに、ね。
でも、あなたは芸術家としては、今回生まれてこなかった。
普通の女性、普通の主婦。
どうやったら、その闇の深さを、人生の活かせるのか。
一緒に、解明できたらなって思います。