時空力コンサルタントの千神弥生です。(自己紹介)
5才の息子の参観日に行ってきました。
子供たちは、本当に可愛いです。
砂場で遊んだり、池で小さな生き物を探したり、それぞれの遊びを楽しんでいました。
暑かったけど、風が涼しい。秋ですね。
私も小さい頃、遊具で遊んだり、花を摘んだり飽きることなく毎日遊んでいた記憶があります。
ドングリはまだ青かった
小学校に入っても変わらず放課後や休みに遊んでいたのですが、高学年になるにつれて遊ぶ時間が少なくなり、
中学校、高校と大人になるにつれて、「遊び」というものから離れていったような気がします。
遊ぶ……。
遊ぶって、なに?
なんか、改めてそう思っちゃいましたね。(笑)
時間を忘れて熱中し続けるようなものって、あの感覚って、なんだか随分前に人生から消されていったことのように感じます。
「遊んでないで、勉強しなさい」
こういう言葉があちこちで聞こえてくるようになる頃からでしょうか。
何の損得もなく、ただ「おもしろい」という感覚だけで、時間を忘れて夢中になれるって、素晴らしいですよね~!
でも、そういうのやってても意味ないよ、っていうメッセージを自然と受け容れていく世の中で育ってきたような気もします。
そして、仕事をしてお金を稼いで、いち社会人として常識人として生活していくレールに押し上げられ、やがて「遊ぶ」という言葉自体を忘れてしまう……。
なんか、ちょっとだけ、ゾゾっとしました。(笑)
え、もし、今「遊ぶことしか許されない」という世の中になったら、何して遊びますか?(笑)
遊びって、正直、クリエイティブなことだと思うんですよね。
だから、「創造性」をどんどんなくしていった大人にとっては、純粋に遊ぶって、すごく難しいことだと思うんです。
参観日の子供たちから得たヒントを書いてみると、
・作り出す
・発見する、知る、体験する
っていうのをやっていると思いました。
つまり、遊びの本質って、「ない」から「ある」を作り出すことなのかな、と。
「ない」から「ある」を作り出す……。
私の仕事である、時空力コンサルも実は「ない」から「ある」を作り出すことをやっています。
お母さんからの愛がない、自分への愛がない、お金がない、価値がない、才能がない。
この「ない」を「ある」に換えていくのが、時空力コンサルなんです。
そうなると、人はみんな人生を懸けた「壮大な遊び」をやっているんだな、と思いました。
「遊び」だからこそ、みんな夢中で悲しんで、夢中で悩んで、というのをやっているんだな、と考えると、子供たちのありのままの姿とピッタリ重なり、納得がいったのでした。
死んだあとは、「おもしろかった!」と言うんだろうなと以前から思っていたのですが、なんか今回でさらに実感しましたね。
子供の頃、秘密基地を作ったりしませんでした?
私は、いとこのお兄ちゃんが作った秘密基地を見せてもらったり、遊んだりするのが、とても楽しかったです。
今も、子供たちがすぐに物で囲って基地を作ります。
それから、庭の土を掘って水たまりを作ったりもします。
手先だけを使ったり、体全体を使ったり、脳を使ったり。
人生全体を使ったり……!
「ない」から「ある」を生み出す遊びを楽しむために生まれてきたと思うと、この文章を書くことさえ、そういう「遊び」をやっていることになりますね!
これに気づいたその直後に、偶然注文していたものが届きました。
野菜を育てるプランターです。
参観日で旦那さんが休みをとっていたので、ナイスタイミングで組み立ててもらいました!めちゃ時間かかるやつ。私は届いたらすぐ完成させたくなるので、旦那さんがいてラッキー!
前からずっとほしかったのですが、庭が整ってきたのでやっと買えました。
余談ですが、グリーンを3つ注文したのに、パープルが届きました……。
もちろん、私が間違えてポチしたようです……。
植物を育てることもできない私ですが、庭でレタスを育てて食べたかったんです。
これこそ、「ない」から「ある」が出てくる、遊びですよね!
プランターを旦那さんに組み立ててもらっていたら、いつも野菜をくれる近所の方が通りかかりました。
ちょうど今、レタス苗を作っているからあげるよ、と言ってくださいました。(「すぐ飽きるわ!」って笑われました!笑)
初心者の私としては、まずはここから初めていこうと思います。
どこまで遊べるか?
そんな視点で生活を見回してみると、また違った楽しい暮らしになるかもしれませんね。
そして、人生を生まれたときから死ぬまで、死んだ後までの長い人生軸で見る訓練をしたとき、
ただ楽しいとか、ただ嬉しいだけでは、「人生の遊び」としては物足りないということの意味がつながると思います。