宝物が隠れている大人が興味のないこと

時空力コンサルタントの千神弥生です。(自己紹介)

 

 

 

年末になってきて、来年の占いが発売され始めていますね。

 

 

 

占いが廃れないのは、未来を知りたいと思うからですよね。

 

 

 

「こうなりますよ」と言われる未来が明るければ、それだけで安心してしまうことがありますよね。

 

 

逆に、イヤな未来を言われると急に不安になったりして。

 

 

 

それでも占いがずっと在り続けるのは、私たちの中に「未来への不安」をクリアにしたい感覚の他に、「未知の自分」を知りたいと思う欲求があるからなんだと思うんです。

 

 

 

未来を知りたい、自分では想像できない先を知りたい、まだ見ぬ展開があるのだろうかなどと、「自分が知らない領域」を知ることが楽しいのだと思います。

 

 

 

例えば「視てはいけません」とか「誰も知らない」などと言われると、余計に興味が湧くじゃないですか。

 

子供だって、やっちゃダメということほどやるし。(笑)

 

 

 

つくづく、私たちの体には、未知の領域への探求心というものが、元々備わっているのだなと思わされるのです。

 

 

 

単純な言い方をすると、やったことがないことをやってみたい、行ったことないところに行ってみたい、というものですよね。

 

 

 

最近、家庭菜園を始めたのですが、レタスができたりチンゲン菜ができて、それを採って料理をするというのが私にとっては新鮮で、初体験だったんですよね。

ラディッシュが終わったので、なんとかレタスという種を蒔いてちょっと大きくなったところです。これが大きくなったときにプレートに添えられると思うとワクワク! 普通のレタスより色鮮やかで良いですよね~😆

パンが260円くらいなので全部で350円もかかってないので、お店の半分で家で満足できます。

 

大嫌いだった料理がちょっと楽しくなってきたりして、これはかなり意外な展開でした。

 

これはちょっと前にモーニングをお店で食べたときの写真です。しあわせ~と思ったけど、お値段的にも内容的にも、自分で作った方が断然美味しくて感動でした。

 

今毎日、文章を書く練習を自主練と称してやっているのですが、これも同じで、やったことないことだからこそ最初はかなり二の足を踏みました。

 

 

出来ればやりたくないと思いました。

 

 

 

でも、やはりやってみて良かったなと今では思います。

 

 

苦しかったけれど、自分では想像もしなかった「書く世界」を知ることが出来たし、新しい仕事も生まれました。

 

 

やったことないことは、逆に言うと、別にやりたいと思っていないこと、とも言えます。

 

 

 

だって、特別な場合を除いては、やりたいことの多くは既にやっているはずだからです。

 

 

 

この年齢まで生きてきてもやったことないことというのは、つまり、やらなくても別に良かったこと。

 

興味ないとか、苦手意識があったとか。

 

 

 

思い返してみれば、子供の頃って、どんなことも初体験なことばかりで、毎日夢中になって生きていましたよね。

 

 

でも、大人になると夢中で生きる日々、というのとは縁遠くなります。

 

 

あっという間に、年を取るし……。(笑)

 

 

 

だからこそ、「やらないこと」「興味がないこと」「苦手なこと」にあえてトライしてみると、意外な結果が待っているように思うのです。

 

 

もちろんその中でも、「やらなきゃよかった」ということもあるかもしれません。

 

 

でも、それも含めて、「未知の領域」を制覇したことになりますよね!

 

 

 

その経験自体が、とても貴重で素晴らしいことなんだと思うんです。

 

 

 

 

未来を不安に思って占いに行って他人から見えた未来を知ること、これはこれ楽しいことですが、

やはり、自分で自分の“「未知の領域」を既知にする”楽しさも味わいながら生きていきたいなと。

 

 

 

そもそも、今興味があることって、意外と親の影響や人目線で好きだったり得意だったりすることも多いですからね。

 

 

 

それ以外のことや、苦手なこと、興味ないことの中に、宝物が埋まっている可能性は、けっこう高いのだと実感しています。

子供は本当に何でも楽しめる天才!

 

いつだって、人生のエクスプローラーであれ!

 

 

●12/5(土)『NEW AGE~あなただけの「存在理由」を創る~』

 

 

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