苦しみを生み出す「呪いの言葉」

時空力コンサルタントの千神弥生です。(自己紹介)

 

 

「自分はダメなんだ、何もできない」
「もっとがんばりたい、がんばれるはず」
 
 
前者は弱くてネガティブな印象があります。
後者は、強気で前向きな感じがします。
 
でも、実はこの両方とも、自分を否定している言葉です。
 
 
多くの人が、この2つのセリフを交互に繰り返すことで、ひたすら自分を責めているんです。
 
 
もちろん私もそうでしたし、今もこう思う時はあります。
 
「お前はどうしてダメなんだ! ちゃんとやれてないじゃないか!」
と叱っては、ちょっとでも何か出来ると、
「そうだ、出来るんだ! お前はやればできる! もっと頑張れ!」
と褒めて伸ばそうとする。
 
 
まさに、飴と鞭の一人劇場と言えますね!()
 
 
 
そもそも、「お前はダメだ」という言葉は、「自分はできるはずだ」という期待や理想からきています。
まず、期待ありきの、理想的なゴールがある前提で、そのものごとに取り組ませているわけで……。
 
で、その期待や理想を裏切ったら、責められる……。
 
え!? ちょっとかなり勝手で傲慢なことされていますよね?
誰にされてるって、もちろん自分が自分自身に、ですけど!()
 
 
 
いやいやいや、そもそも「できる前提」っていうのは、おかしくない?
しかも、理想って、誰と比べての理想なの?
 
 
例えば、営業の仕事だとして、売上が上がらなかったとしたら、自分を責めてしまうと思うんですが、「売れる前提」「売ってほしい前提」で成績を見られてるから、ですよね。
 
 
その結果、上司から叱られたり、自分でも成績の悪さを嘆いたりするんだと思います。
 
 
これだと、最初の方の段階で、わりと多くの人が「自分はダメなんだ、出来ないやつなんだ」とレッテルを貼ってしまうはずです。
 
 
そして、その一旦貼ってしまったレッテルを剥がして、飛躍することができる人はごくわずかなんじゃないでしょうか……。
 
 
なんだか、わけのわからない、世にも怖い流れに乗せられている気がします。
 
 
私もこんな流れに乗りに乗りまくって生きてきた結果、今思うのは、「0ゼロから始めた」と思えば良いということです。
 
 
いやむしろ、大人になればなるほど前職のクセを引きずっていたり、プライドなんかが邪魔するので、「マイナスからのスタート」なんじゃないんでしょうか。
 
 
 
そのうえで、一歩一歩進んでいくしかないのに、早々に「他人の理想」や「勝手な期待」をゴールにされたんじゃ、たまりませんよね!
 
 
それが会社の人からではなく、むしろ自分自身がやっていたなんて……。
 
しかも、最短の結果を求めがち、というのも大きな問題です。
 
 
多くの人は、レッテルを剥がすことより、自分を責めることにエネルギーを使ってしまうので、よけいに遠回りすることになるし、途中で挫折してしまうと思います。
 
 
まず自分を責めること、これさえ止めたら、苦しまずに前に進んでいけます。
 
 
でも、その「自分責め」がなかなか止められないのも事実なんですよね。
 
 
 
だって私も随分と長い間、自分を責めてきたから……。
特に、仕事以外でのプライベートの小さなミスで自分を責めまくっていました。
 
 
 
例えば、何か作業をしているとするじゃないですか。
その時、床にモノを落としてしまうことってありますよね。
 
 そういうときの、自分への「ファックユー」レベルは、半端じゃなかったです!
 
ほんと、今振り返ると、なんであんなに自分を責めていたのか……。謎っていうくらい。
 
 
モノを落としただけであんなに怒られている自分が、哀れすぎます。
でも、どうしても、許せなかったんですよ、自分で自分が。
それから、忘れ物。
 
いつも忘れ物をしてしまうんです。
ちゃんと持って行こうと玄関にまで用意していても、忘れる。
 
それから、バッグの中の鍵を見つけられない。
こういうことでも、怒り狂っていました……。()
 
 
 
今は、もうほぼこういうことで自分を責めることはなくなりましたけど、それはそれは凄かったです。
 
 
人それぞれ、自分を責めるポイントは違うのですが、総じて同じことが言えると思います。
 
それは、「自分ができる」と思っていることです。
 
 
「できてほしい」「できるはずだ」と勝手に期待しているから、妄想を抱いているから、自分を責めてしまうんです。
できなくてもショックだし、仮にできても、もっとやれると煽る……。
 
ハァ、ほんと、恐ろしい……。
 
 
すべて、妄想なんです。
できるはずだと思っている、妄想です。
 
妄想をやめるには、現実を受け取るめるしかありません。
 
これが、怖くて、恐ろしいので、逃げたり認めないように行動します。
 
でも、認めない限りは、一生死ぬまで自分責めをしていくことになります。
 
どっちが良いのか?
 
少なくとも、現実逃避をしていると、いずれ精神的に病むか、体調を崩すか、家族に影響が出ます。
自分はできるはずだという妄想を終われた人から、現実を直視してショックを受けることができ、やっと本当の人生がスタートします。
 
頭でいくら妄想を終わろうと思っても、かなり難しいものです。
 
それは、脳にとっては「死の宣告」と同じだからです。
 
「あんたには、価値がないよ!」
というのは、人間にとって「死」と同じです。
 
それだけは避けたいので、あの手この手を使って、現実を直視するのを避けようとするわけです。
 
それだけ、恐ろしくて怖いことは、誰だって、誰の脳だって避けますよね。
 
だからこそ、現実を受け容れやすくするための人からの支えや、それが妄想なのだということを納得するだけの、その人だけの証拠が必要なのです。
 
「妄想だという証拠」
この証拠によって、あっさりと妄想を手放すことができるし、現実を直視してもショックを受けないことが可能です。
 
証拠は、どんな人でも、今までの過去のなかに既にあります。
私は、その証拠を探しだす人、だと言えます。
 
 
私も含め、みんな、人間は、「納得したい」生き物なんですよね。
苦しい人生の原因が「自分責め」で、そのさらなる原因は「妄想」なんだとすれば?
 
だったらもう苦しい人生を止めて、楽に生きられる人生に行きたいと思いませんか?
妄想の証拠があるなら、さっさと出してもらって、さっさと納得して、さっさと妄想を終わらせたいはずなんです。
だって、自分でも薄々感づいているわけで……。
自分が本当の人生を生きてないってことを。
 
 
ちなみに、その「妄想の証拠」は、新しい本来の人生の「生き方の方位磁石」の役割も兼ねています。
園芸屋さんのバラです。花はそれぞれの本来的の生き方してますね。あなたはどんな花ですか?
絶対に、必要なものです。
 
 
納得さえできたら人は驚くほどの勢いで「できるはず」という妄想や理想を捨て去ります!()
そして、楽に生きる人生に、さっさと鞍替えするのです。
 
 
楽に生きられるようになったって、問題や悩みっていうのは一生つきまとうものですからね。
意味ないところで苦しむことほどムダなことはないし、マゾでもありませんよね()
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