すべての苦楽を1つにする大河への流れ方

千神弥生(ちかみやよい)です。(自己紹介

 

 

 

 

た、た、助けてぇーーー!

く、く、苦しいぃーーー!

 

 

 

ここ数年の私は、こう叫びながら、毎日ひたすら文章を書いています。

 

苦行です! 修行です!

 

 

 

文章を書く、いわゆる「ライティング」と呼ばれるやつですね。

 

 

 

この生活になってから、かれこれ3年です。

 

 

 

楽しいかと聞かれると……。

 

 

楽しくはありません、はい……。

 

 

 

でも、今これが私がやるべきことだと分かっているので、楽しくなくても、続けております。

 

 

 

というか、続けるしか道がないという言い方の方が合っていますね……。

 

なんというか……見えない「流れ」のようなものがあってですね。

 

 

 

 

それを運命と呼ぶのかどうかは分かりませんが、

とにかくその「流れ」が大きくて「やらない」という選択肢がなかったんですよね。

 

 

 

最初からその「流れ」に飲み込まれていて、今でもずっとアップアップしているのです。

 

 

本来の私の性質としては、楽しいと思えること以外はやりたくないというのがあるんですよ。

 

 

 

だから、今のこのアップアップしている流れは、明らかに今までとは違うと自覚しています。

 

 

 

だって、楽しいとか、やりたいという気持ちがあるからこそ、苦しいと思えることだって頑張れるものですよね。

 

 

 

ただ苦しいなんて、あり得ない……!

 

 

 

実際、そうやって今まで生きてきました。

 

 

 

ほんと、このライティングに関しては、楽しいともやりたいとも思えないまま、それでもずっとやっていることなんです……。

 

 

 

それで、途中で、ふと思ったんですよね。

 

 

 

「楽しんで書けるようになることを目標にしよう!」と。

 

 

 

だって、文章を書くことが仕事なんだとしたら、楽しめた方が絶対いいじゃないですか。

 

 

 

ていうか、楽しめないと苦しくて辛いじゃないですか!

 

 

 

毎日、溺れそうになりながら、水飲んじゃって、危険ですよね!?

 

 

 

例えば、前職のブライダルリング販売は、とにかく楽しかったんですよ。

 

 

 

接客が好きだし、宝石も時計も好きだし、ブライダルがメイン担当だったので、ダイヤモンドや可愛いらしいカプルさんを見てばっかりの毎日。

 

 

 

お店の空間はゴージャスで美しくお城みたいでした。

 

 

 

自分の好きな服を着て、

好きなジュエリーを着けて、

お客様がいない時には、椅子に座って休んだり、

ディスプレイを美しく整えたり……。

 

 

 

もちろん大変なこともありましたが、すべてそれは売り上げに関することです。

 

 

 

販売なんだから仕方ありません。

 

 

 

数字を問われる苦しさに耐えられていたのは、それ以外が好きなことだらけだったからです。

 

 

 

 

そうやって過去を振り返ってみると……

人と喋ることなくひたすら地味にパソコンのキーボードを打ち続けるライティング作業とは、全然違います!

 

 

 

宝石や時計が好きなお客様や、幸せいっぱいのカップルさん達とお話しして、おススメの物を提案して、それでお買い上げいただけて。

 

 

 

お店も私もお客様もスタッフも、み~んながハッピー! み~んなが幸せ! という雰囲気ではありません。(笑)

 

 

 

 

もちろん、私が書いた文章を読んでくださるお客様のために書いているのですが、顔が見えないし反応も分からない(最初は特に)……。

 

 

 

書く内容も、私の今までの人生の全知識と全経験と全想いとを大集結させても、

れでもまだまだ……勉強が必要という大変な仕事なのです。

 

 

 

時々「よし! 良いのが書けたぁ!」と渾身の文章を書いても、すぐにまた次の文章へと取り掛からなければならず……。

 

 

 

 

今でこそだいぶ重い気持ちがなくなりましたが、当時は、とにかく恐怖でたまりませんでした……。

 

 

 

何の恐怖? って思いますよね。

 

 

 

 

「私に、書けるのだろうか……」という恐怖です。

 

 

 

 

書き遂げられないのではないかという恐怖で、押しつぶされそうになっていました。

 

 

 

実際に、押しつぶされたことも何度もあります。

 

 

 

せっかく書いた文章が、なぜか保存できてなくて消えたときには、もう大変でした。

 

 

 

「もうーー!! ここからまた書くなんて、無理だってばーーーー!!!」

 

 

 

泣き叫んで、クッションを壁にぶつけて、床を転がり回って……。

 

 

 

絶望の淵から這い上がれないまま……時が過ぎていくわけですよ!

 

 

 

それでもーーー!

結局やるしかないんですよーーー!

 

 

 

それで、また立ち上がり、再びPCの前に座るという……。(笑)

トホホ、です。

 

 

 

こうやって書いていると、ギャグかよって思いますけど、

ほんと、折れた心を立て直すのは本当に大変だったし、毎日恐怖と対面する日々は、かなり大変でした。

 

 

 

 

だから、なんでこんなに大変なことをやっているんだろうと、思うわけですよ。

 

 

 

でも、そうやって頭では思いながらも、手はせっせと動かし続けるという日々。(笑)

 

やっぱり、ギャグですね。

 

 

 

そういうことで「楽しく書けるようになりたい!」という目標が生まれたわけです。

 

 

 

 

 

でも……、これが……

違ったんですよ……!

 

 

 

「楽しく書く」とか、そんな話じゃなかったんだって、大納得したのです。

 

 

 

 

 

前回の記事でも書きましたが、私は前職の時、あるトラブルでカップルさんを傷つけてしまいました。

↓↓↓↓↓

過去最も痛ましい出来事がもたらす人生の使命

 

 

私が書いた言葉によって、です。

 

 

 

本来ならカップルさんの輝く未来を祝福する立場の私が、祝うどころか、縁起を損ねてしまったのです。

 

 

 

これは、ブライダルに携わる方ならお分かりいただけると思いますが、縁起を損ねるということは、絶対にあってはならないことなんです。

 

 

 

 

でも、だから!

だから、今、書いているのです、私は……。

 

 

 

 

というのは、

本当は、私は言葉で(トーク、文字含めて)人を応援したり、元気づけたり、癒やしたり、祝ったり、

そういうことをする人だったのです!

 

 

ライティングの仕事も、心理コンサルの仕事も、お客様が幸せになるための言葉を贈っていたのです。

 

 

 

つまり、人の未来を祝う仕事、それが私がずっとやっていることなのです。

 

 

 

そのカップルさんとのトラブルは、

未来(今現在のこと)で、人の人生を祝う言葉を降ろしている私がいたからこそ、起きたことだったのです。

 

 

 

あの時の私からしたら、今の私は、未来の私に相当しますからね。

 

 

 

そう考えると、「楽しく書けるかどうか?」なんて、どうでもいいことでした……。

 

 

 

書くことが好きか嫌いかなんて、どうでもいいことでしたよ……。

 

 

 

才能がない?

 

 

 

ないなら、特訓するしかないよね、がんばれ

そういうことでした……。

 

 

 

 

人生とは、思っている以上に、壮大に仕組まれているのです。

 

 

 

 

だって、これで、つながりますからね、

ライティングの仕事を始めた当初のあの「大きな流れ」に入ってしまった感覚と。

 

 

 

 

やらないとか、やめるとか、そういう選択肢は一ミリもなかったわけです。

 

 

 

「やる一択」これでした。

 

 

 

いやもう、ほんと、天から「やりなさい」と言われた感じでしたからね。

 

 

 

こうやって毎日言葉を書くとき、読んでくださった人が少しでも元気になったり楽しくなったり、癒されたり勇気づけられたりしますように、といつも願って書いてきました。

 

 

 

そんな今の私がいるのは、紛れもなく、あのカップルさんとの出来事があったからです。

 

 

 

なぜ、あんなにも大きなトラブルとなり、みんながダメージを受けたのか?

 

 

 

なぜ、私の人生で一番辛い出来事となってしまったのか?

 

 

 

 

私じゃなかったらここまで引きずらないと、当時、会社の社長からも言われました。

 

 

 

それは、私が「言葉で人を幸せにする人」だと、心の奥の方で分かっていたからだったんですよね。

 

 

 

カップルさんや会社を傷つけたこと、自分の甘さなど、表面の理由のもっと奥に、これがあったのです。

 

 

 

自分の使命を果たせなかった悲しみを感じていたのだと思います。

 

 

 

それがずっと奥にあり、言語化できずにいたのです。

 

 

 

「言葉で人を幸せにする存在」こんな人が誰かの未来を言葉で傷つけてしまったら、そりゃあ、泣くことしかできませんよね。

 

 

 

何年も何年も引きずって、傷口から血が流れたまま塞がらないはずだなと納得したのです。

 

 

 

 

実は、正確に言うと、数年前コンサル仲間とコンサルの練習中に、カップルさんの出来事を扱ったとき号泣した後、この言葉(使命)自体は出てきていました。

 

 

 

つながってはいたのです。

 

 

 

でも、それは出来事が起きた意味が分かっただけで(これだけでも号泣、世界が逆転したのですが)、

この先これがどんなふうに展開していくのかは、つまり未来のことまでは当然わかっていなかったのです。

 

 

 

 

それが今、日々、苦しみながらライティングをしてきたからこそ、ようやく分かったのです。

 

 

 

これは、学びなんだと!

 

 

 

 

「言葉で人を幸せにしていく」それなら言葉を学ばないといけない、もっと深めないといけないですよね。

 

 

 

良い意味でも悪い意味でも、言葉には影響力があるのだと、私は学ぶ必要があったのです。

 

 

 

 

これは、私の一生をとおしてやっていく学びなんだと納得すると、ただアップアップしていたのが、

その「流れ」に身を任せられる感覚になったのです。

 

 

 

 

「仕事は楽しくやりたい」という、長年の私のモットーはこれにて終了~!

 

 

 

 

楽しいとか楽しくないとか、才能があるとかないとか、やれるかやれないかとか、そういう話ではなかったのです。

 

 

楽しいどころか、大変でしかなくて、苦労しかなかったのは、学びだったから。

 

 

 

だから、やる一択。

やるしかなかったのです。なぁんだ!

 

 

 

 

実は、毎日のライティング練習は3年間欠かしたことがありません。

 

 

 

私はこれを「バッティング練習」と呼んでいます。

 

 

バッティング練習が楽しい人はいないんじゃないですかね。

 

 

 

もちろん、中にはそういう人もいるとは思いますが、本気で野球をやっている人は、バッティング練習も筋トレも、キツくて大変だと思います。

 

 

 

それでも続けるのは、それが使命だと思っているからだと思います。

 

 

 

だから、やる一択、なのだと思うんです。

 

 

 

楽しいかどうかなんて、

そんなところを遥かに超えたところで、人生を何かに捧げているのだと思います。

 

 

 

あ、イチローを思い浮かべながら話しています。(笑)

 

 

 

 

イチローみたいに凄い人じゃなくても、

私みたいな一般人でも、人生を捧げる“なにか”は、あるのです。

 

 

 

これを「存在理由」と呼ぶこともできるし、「使命」とも言えるし、「生きる意味」でもいいし、「原点」もピッタリですね。

 

 

 

どんな言葉でもいいのですが、

とにかく「人生の流れ」のことです。

 

 

 

 

 

“私個人の意志”とは無関係に流れてくる大きな流れがあり、

それがドバーッとやってきたら、

その奥には「存在理由」という言葉を見つけられるはずなのです。

 

 

 

 

初めて私が影響を受け、強い意志を持った言葉、それは子供の時に見た図鑑に書いてあった言葉でした。

↓↓↓↓↓

120人の夫婦と60人の兄弟姉妹と過ごした「私の大家族」

 

 

 

「50億年後、太陽が爆発して地球がなくなる」

 

 

 

この衝撃的な言葉を受け、強烈に地球を、いや、ここに住む家族たちを守りたいと湧きあがったのです。

 

 

 

 

この衝動・衝撃は、今もなお、私の仕事である「心理コンサル」と「ライティング」をとおして、続いているのかもしれないと。

 

 

 

言葉で立ち上がり、言葉で傷つき、だから言葉で人を幸せにする。

 

 

 

 

なんだか、カッコ良くまとまってしまいましたが(笑)、ほんとにそう思うんですよね。

 

 

 

 

まだ44才。ここから「言葉」は私をどこに連れていくのか?

 

 

 

あ、そうそう!

両親に小さい頃からよく言われていました。

 

 

 

「口から先に生まれてきた子」

 

 

 

そう、私は「言葉」から生まれてきたそうなので、この「流れ」ってやつに、生まれたときからすでにもう、乗っていたんでしょうね!(笑)

 

 

 

 

今、前より大きなこの川の流れは、恐いこともあるけど、時には積極的に、時には委ねて、流れています。

 

 

 

 

あなたの人生に流れているテーマ、存在理由はどんなものですか?

 

 

 

 

存在理由がわかると、こんな感じで、過去(現在でも)の苦しかった出来事や経験の意味がつながり、より大きな流れに乗っていけます。

 

 

 

 

溺れそうにはなることもありますが(笑)、「生きてる実感」は半端ないです。

 

 

 

 

 

 

最新情報をチェックしよう!
>「私なんかが母親で、ごめんね」って、もう思わなくていい。

「私なんかが母親で、ごめんね」って、もう思わなくていい。




すべての家族がしあわせになりますように
すべての女性の心が平和でありますように  
すべての子どもの未来が守られますように